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新しい諭吉~渋沢英一について~

どんぐり

新卒で公務員として社会人になり、転職を経験。 転職後、時間にゆとりができたため、日常生活に色どりを添える助力ができたらと、blogを始めました。 投資歴は社会人1年目からなのでまだまだ浅いです。 拙いことも多いですが、見ていただけたら嬉しいです。

渋沢栄一は1840年、現在の埼玉県深谷市に生まれました。彼は若い頃から商才に長け、藍玉取引や農業に携わることで経済の基礎を学びました。特に家業の藍玉取引を通じて商取引の実務を経験し、これが後の彼の経済活動の基盤となりました。

出典:国立国会図書館

日本の近代資本主義の父の業績

欧州視察と影響

1867年、渋沢は徳川幕府の命を受けてパリ万国博覧会に出席するため欧州に渡ります。この経験が彼の経済思想に大きな影響を与えました。欧州での先進的な銀行制度や株式会社制度に触れたことで、日本に帰国後、これらの制度を導入することを決意しました​。

企業設立と経済発展への貢献

帰国後、渋沢は第一国立銀行(現:みずほ銀行)を設立し、日本初の近代的な銀行制度を導入しました。また、東京証券取引所、東京ガス、大阪紡績(現:東洋紡)、東京海上火災保険(現:東京海上日動火災保険)など、多くの企業を設立しました。これらの企業は日本の産業発展に大きく貢献し、近代日本の経済基盤を築き上げました。

教育と社会事業

渋沢は経済活動だけでなく、教育や社会福祉にも力を注ぎました。1873年には福澤諭吉が設立した慶應義塾を支援し、教育改革に尽力しました。また、済生会や養育院(現:東京都立養育院)の設立にも関わり、社会福祉の発展に寄与しました。彼の教育と福祉への貢献は、当時の日本社会に大きな影響を与えました。

晩年と遺産

晩年まで渋沢は経済界で活動を続け、1926年には第一国立銀行の頭取を退任しましたが、その後も様々な社会活動を続けました。彼の理念と業績は、日本社会の多くの分野で今もなお生き続けています。1931年に亡くなった後も、その影響力は色あせることなく、多くの人々に尊敬されています​。

新一万円札の肖像に選ばれた理由

渋沢栄一が新一万円札の肖像に選ばれた理由は、彼の卓越した業績と日本社会への貢献が評価されたためです。彼が設立した企業や団体は今も日本経済の基盤を支えており、渋沢の理念は現代にも通じる普遍的な価値を持っています。また、彼の肖像は偽造防止の観点からも優れているとされています。

渋沢栄一の生涯と業績は、日本の近代化と経済発展の象徴であり、新しい一万円札の肖像として彼が選ばれたことは、その偉大な功績を次世代に伝える重要な役割を果たしています。

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